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東日本大震災で兩親を亡くした少年は21歳に 支えと葛藤の15年、自ら選んだ道へ 岩手縣 (26/03/10 17:35)
- 影片類型
- 一般
- 發布日
- 2026年3月10日
- 觀看次數
- 27萬2620回
- 點讚數
- 4594
- データ確認日時
- 2026年6月8日 20:34
動畫概要
東日本大震災から2026年3月11日で15年です。
兩親を亡くし、祖母や公的な制度などの支えを受けて成長した青年は今、そうした支援から離れ自ら選んだ道を歩み始めようとしています。
及川晴翔さん(21)は、地元の岩手縣陸前高田市を離れ宮城縣仙臺市の大學に通っています。
現在(2026年3月時點)は大學4年生、自分の生き方を模索しています。
及川晴翔さん
「急いで頑張って卒業しても、その後がどうなるか分からないので。それだったら少しだけ自分に餘裕を持ったほうがいいかと思って」
時間をかけて進路を考えたいとの思いから、あえてもう1年、大學に殘ることにしました。
「兩親がいたら相談ができたのかもしれない」…ふと、そう考えることがあるといいます。
及川晴翔さん
「『しっかりしろよ』と喝を入れられたと思うけれど、自分が困ったときは道を示してくれていたと思うので、アドバイスをもらい、もっと早く進路を決めて、そっちに眞っすぐ進むことができたなら、卒業のタイミングは變わったと思う」
晴翔さんは樣々な思いや葛藤を抱えながら、この15年を歩んできました。
震災發生直後、晴翔さん(當時6歳)は兩親が行方不明のなか、兄の佳紀さん(當時9歳)と共に小さな體で避難所の手傳いに勵んでいました。
共に避難した母方の祖母・五百子さん(當時67歳)は、健氣な2人を見守っていました。
祖母・五百子さん(當時67歳)
「頑張っているから、よろしいです。まだお母さんとお父さんの顏を見ていないから」
避難所に笑顏を振りまいていた2人。
しかし、その表情の裏には切實な願いがありました。
兄・佳紀さん(當時9歳)
「(兩親は)來てくれると思う、頑張っていたら…」
「目立っていればお父さんとお母さんが見つけてくれる」そう信じて、明るく振る舞い續けていたのです。
しかし、父・徳久さん(當時39歳)、母・昇子さん(當時39歳)は、その後遺體で見つかりました。
當時の晴翔さんはまだ甘えたい年頃の小學1年生でした。當たり前の日常が失われた中、祖母の愛情のもとで眞っすぐに成長してきました。
その後、地元の高校へ進學した晴翔さんは、部活動などで充實した日々を送っていました。
晴翔さんたち兄弟を引き取った祖母の五百子さんは、自身にとって二度目の子育てです。
兄の佳紀さんが進學のため家を出てからは、少しだけ廣くなった災害公營住宅で晴翔さんの成長を支えていました。
震災から11年が經った2022年、晴翔さんは高校3年生になりました。
この頃から、朝食には手輕に食べられるパンを選ぶようになっていました。五百子さんに少しでも負擔をかけないようにとの配慮からでした。
及川晴翔さん(當時17歳)
「慣れている。部活をやっていたときはちょっと足りなかったけど」
大學への進學が近づく頃、晴翔さんには自立に向けて“親離れ”を意識する樣子が伺えました。
及川晴翔さん(當時17歳)
「(五百子さんは)俺と兄ちゃんの面倒を、ほぼ1人で見てきた。兄ちゃんも仙臺に行って、俺も今年の春から仙臺に行ったら、やり切った感が出て倒れたりしないか心配」
仙臺へ引っ越しの日。五百子さんは、晴翔さんの背中を靜かに見送りました。
手を振る晴翔さんに、「氣をつけてね」と手を振り返す五百子さん。
仙臺では友人もでき、順調な大學生活を過ごしていた晴翔さんでしたが、そうした中でも氣にかけていたのは1人で暮らす五百子さんのことでした。
及川晴翔さん(當時18歳)
「あっちも年なので年齡からくる體調の變化や、1人になって寂しくしていないかとか、たまに電話をして確認している。聲色的には明るい感じで話してくれる」
休日などに晴翔さんが歸省すると、五百子さんは顏をほころばせます。
「二十歳のつどい」の前日、門出を祝う食卓には晴翔さんの好きな豚汁が竝びました。
及川晴翔さん(當時19歳)
「普段仙臺にいて豚汁を食べることが全然ないので、たまに定食屋に行ってセットで頼むくらい。でもばあちゃんがつくってくれたのが一番おいしい」
成人式を翌日に控えた晴翔さんは、五百子さんに「あしたで私、成人式ですよ」と笑顏で話します。
「おめでとう」と返す五百子さんに、晴翔さんは「ばあさんのおかげです」と感謝を傳えました。
その言葉に涙があふれる五百子さん。
及川晴翔さん
「たくさん迷惑かけてきたけど」
五百子さん
「なんも、なんも」
「二十歳のつどい」では、紋付袴に身を包んだ晴翔さん。
及川晴翔さん(當時19歳)
「良かったなと思う。ちゃんと立派な姿を見せられて」
その成長した姿は、五百子さんにとって何よりの喜びでした。
そして2026年2月、晴翔さんは春休みを利用して再び陸前高田市へ歸省しました。
向かったのは、震災で亡くなった人たちを悼む刻銘碑です。
父・徳久さんと、母・昇子さんの名前の前で近況を報告しました。
及川晴翔さん
「4年間やってきて、プラスでもう1年。進路選擇や將來設計を頑張ると傳えた」
そして、新たな決意も傳えました。
これまで晴翔さんは、震災遺兒を支援する樣々な制度のもとで生活してきましたが、その支援が2026年3月で終わることもあり、これからはアルバイトで學費と生活費を賄うと決めたのです。
祖母の支えや震災後の支援制度から離れて、自分の力で歩き始めようとしています。
及川晴翔さん
「自分の責任や自己管理を、今までの4年間以上にしっかりしなければいけない。この15年間で助けになってくれた人や支えてくれた人はたくさんいるので、そういう人たちに少しでも自分が頑張っている姿や元氣な姿を見せられるよう、頑張りたいと思う」
そんな晴翔さんに、82歳となった五百子さんは變わらぬ愛情を注いでいます。
晴翔さんは、五百子さんにも今の思いを傳えます。
及川晴翔さん
「あと1年頑張って、できるだけいいところに就職ができるよう頑張るので、應援してくれるとありがたいです」
五百子さん
「頑張って。今年卒業だと思っていたけど」
あの日以來、樣々な思いを抱えながら生きてきた15年。
支えてくれた存在に應えるために、晴翔さんは新たな決意で歩みを進めようとしています。
兩親を亡くし、祖母や公的な制度などの支えを受けて成長した青年は今、そうした支援から離れ自ら選んだ道を歩み始めようとしています。
及川晴翔さん(21)は、地元の岩手縣陸前高田市を離れ宮城縣仙臺市の大學に通っています。
現在(2026年3月時點)は大學4年生、自分の生き方を模索しています。
及川晴翔さん
「急いで頑張って卒業しても、その後がどうなるか分からないので。それだったら少しだけ自分に餘裕を持ったほうがいいかと思って」
時間をかけて進路を考えたいとの思いから、あえてもう1年、大學に殘ることにしました。
「兩親がいたら相談ができたのかもしれない」…ふと、そう考えることがあるといいます。
及川晴翔さん
「『しっかりしろよ』と喝を入れられたと思うけれど、自分が困ったときは道を示してくれていたと思うので、アドバイスをもらい、もっと早く進路を決めて、そっちに眞っすぐ進むことができたなら、卒業のタイミングは變わったと思う」
晴翔さんは樣々な思いや葛藤を抱えながら、この15年を歩んできました。
震災發生直後、晴翔さん(當時6歳)は兩親が行方不明のなか、兄の佳紀さん(當時9歳)と共に小さな體で避難所の手傳いに勵んでいました。
共に避難した母方の祖母・五百子さん(當時67歳)は、健氣な2人を見守っていました。
祖母・五百子さん(當時67歳)
「頑張っているから、よろしいです。まだお母さんとお父さんの顏を見ていないから」
避難所に笑顏を振りまいていた2人。
しかし、その表情の裏には切實な願いがありました。
兄・佳紀さん(當時9歳)
「(兩親は)來てくれると思う、頑張っていたら…」
「目立っていればお父さんとお母さんが見つけてくれる」そう信じて、明るく振る舞い續けていたのです。
しかし、父・徳久さん(當時39歳)、母・昇子さん(當時39歳)は、その後遺體で見つかりました。
當時の晴翔さんはまだ甘えたい年頃の小學1年生でした。當たり前の日常が失われた中、祖母の愛情のもとで眞っすぐに成長してきました。
その後、地元の高校へ進學した晴翔さんは、部活動などで充實した日々を送っていました。
晴翔さんたち兄弟を引き取った祖母の五百子さんは、自身にとって二度目の子育てです。
兄の佳紀さんが進學のため家を出てからは、少しだけ廣くなった災害公營住宅で晴翔さんの成長を支えていました。
震災から11年が經った2022年、晴翔さんは高校3年生になりました。
この頃から、朝食には手輕に食べられるパンを選ぶようになっていました。五百子さんに少しでも負擔をかけないようにとの配慮からでした。
及川晴翔さん(當時17歳)
「慣れている。部活をやっていたときはちょっと足りなかったけど」
大學への進學が近づく頃、晴翔さんには自立に向けて“親離れ”を意識する樣子が伺えました。
及川晴翔さん(當時17歳)
「(五百子さんは)俺と兄ちゃんの面倒を、ほぼ1人で見てきた。兄ちゃんも仙臺に行って、俺も今年の春から仙臺に行ったら、やり切った感が出て倒れたりしないか心配」
仙臺へ引っ越しの日。五百子さんは、晴翔さんの背中を靜かに見送りました。
手を振る晴翔さんに、「氣をつけてね」と手を振り返す五百子さん。
仙臺では友人もでき、順調な大學生活を過ごしていた晴翔さんでしたが、そうした中でも氣にかけていたのは1人で暮らす五百子さんのことでした。
及川晴翔さん(當時18歳)
「あっちも年なので年齡からくる體調の變化や、1人になって寂しくしていないかとか、たまに電話をして確認している。聲色的には明るい感じで話してくれる」
休日などに晴翔さんが歸省すると、五百子さんは顏をほころばせます。
「二十歳のつどい」の前日、門出を祝う食卓には晴翔さんの好きな豚汁が竝びました。
及川晴翔さん(當時19歳)
「普段仙臺にいて豚汁を食べることが全然ないので、たまに定食屋に行ってセットで頼むくらい。でもばあちゃんがつくってくれたのが一番おいしい」
成人式を翌日に控えた晴翔さんは、五百子さんに「あしたで私、成人式ですよ」と笑顏で話します。
「おめでとう」と返す五百子さんに、晴翔さんは「ばあさんのおかげです」と感謝を傳えました。
その言葉に涙があふれる五百子さん。
及川晴翔さん
「たくさん迷惑かけてきたけど」
五百子さん
「なんも、なんも」
「二十歳のつどい」では、紋付袴に身を包んだ晴翔さん。
及川晴翔さん(當時19歳)
「良かったなと思う。ちゃんと立派な姿を見せられて」
その成長した姿は、五百子さんにとって何よりの喜びでした。
そして2026年2月、晴翔さんは春休みを利用して再び陸前高田市へ歸省しました。
向かったのは、震災で亡くなった人たちを悼む刻銘碑です。
父・徳久さんと、母・昇子さんの名前の前で近況を報告しました。
及川晴翔さん
「4年間やってきて、プラスでもう1年。進路選擇や將來設計を頑張ると傳えた」
そして、新たな決意も傳えました。
これまで晴翔さんは、震災遺兒を支援する樣々な制度のもとで生活してきましたが、その支援が2026年3月で終わることもあり、これからはアルバイトで學費と生活費を賄うと決めたのです。
祖母の支えや震災後の支援制度から離れて、自分の力で歩き始めようとしています。
及川晴翔さん
「自分の責任や自己管理を、今までの4年間以上にしっかりしなければいけない。この15年間で助けになってくれた人や支えてくれた人はたくさんいるので、そういう人たちに少しでも自分が頑張っている姿や元氣な姿を見せられるよう、頑張りたいと思う」
そんな晴翔さんに、82歳となった五百子さんは變わらぬ愛情を注いでいます。
晴翔さんは、五百子さんにも今の思いを傳えます。
及川晴翔さん
「あと1年頑張って、できるだけいいところに就職ができるよう頑張るので、應援してくれるとありがたいです」
五百子さん
「頑張って。今年卒業だと思っていたけど」
あの日以來、樣々な思いを抱えながら生きてきた15年。
支えてくれた存在に應えるために、晴翔さんは新たな決意で歩みを進めようとしています。
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