山田ゆかり

山田ゆかり

北齋のしわざ展 東京 京橋

影片類型
一般
發布日期/時間
2025年12月5日 09:34
動畫長さ
00:51
觀看次數
137
點讚數
5
コメント數
-
エンゲージメント率
3.6%
データ確認日時
2025年12月12日 08:57

動畫概要

東京の京橋で開催されていた「HOKUSAI-ぜんぶ、北齋のしわざでした。展」に行ってきました

江戸時代の天才繪師です
北齋の有名な『冨嶽三⼗六景 神奈川沖浪裏』だけではなかった!!
たゆまぬ探求心と作品群が素晴らし過ぎたんです
日本のエンターテインメント文化「マンガ」や「アニメ」のルーツともいわれている

一生をかけて畫業の高みを追い續けた北齋の姿がわかる展覽會でした
90歳の生涯に何度も節目があって、大河ドラマ「べらぼう」の蔦屋重三郎との接點*もあります
「畫狂人」北齋の人生を紹介します
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1️⃣ 誕生期
寶暦10年(1760年)本所割下水に生まれる
6際の頃から好んで繪を描く
少年期に貸本屋の小僧
14、5歳以降木版の版下彫り

2️⃣ 春朗期 19歳〜35歳 
*この期に蔦屋重三郎に見出される
19歳で役者似顏繪の第一人者勝川春章に弟子入り
春朗としてデビュー

3️⃣ 宗理期 36歳〜39歳
36歳で琳派二代目俵屋宗理を襲名するが4年で改名
しばらく生活苦でとうがらしや暦を賣る
兩國の繪草紙問屋の看板を描いたが、兄弟子勝川春好にけなされ破りすてられ、そのくやしさから修行に懸命になる

狂歌繪本で人氣が出てきたため、版元を介さない肉筆畫(繪畫)に依頼も多くこなすように

4️⃣ 葛飾北齋期 40歳〜55歳
44歳(1804年)江戸音羽護國寺で百二十疊の大だるま繪を描く パフォーマンス・アートもする

この頃三女お榮(應為)生まれる?(生沒不明)

讀本の插繪に注力 曲亭(瀧澤)馬琴や山東京傳と組んで作品を多數發表
「椿説弓張月」 曲亭馬琴作・葛飾北齋畫の繪本が大ヒット

5️⃣ 載斗期 56歳〜60歳
葛飾派の弟子は200人以上にもなり、門人の教科書として、また全國に畫風の普及のため、「北齋漫畫」に代表される繪手本の制作に力を注ぐ
肉筆畫(繪畫)組上げ繪 鳥瞰圖 鳥羽繪 浮世繪多數
西洋版畫風のスタイル

6️⃣ 為一期 61歳〜74歳
文政末(1830年)頃から浮世繪の制作に力を注ぐ 70歳
妖怪繪、名所繪、花鳥圖 風景畫(冨嶽三⼗六景)ベロ藍(プルシャンブルー)がブームになっていた
中風(腦出血)を患うも自作の藥で治る

7️⃣ 畫狂老人卍期 75歳〜90歳
この頃厄除けのため毎朝小さな獅子圖「日新除魔圖」を描く
天保の飢饉(1833~1837)時には「肉筆畫帖」を賣り生活費を稼ぐ

娘の應為と長屋でふたりで暮らしていたことも
掃除もせずこたつ布團をはおり夜中まで描いてそば二杯食べて寢る日々

85歳ごろから高井 鴻山(北齋のパトロン)誘いで小布施に數度逗留し、天井繪を描く
辭世の句は「ひと魂でゆく氣散じや夏の原」
(死後、人魂となって夏の野原をのびのびと氣晴らしに飛び回ると詠んだ)
「あと五年、、十年生きられれば眞の畫工となれたのに、、、百歳超えてもさらに上手くなる!」と
絶筆「富士越龍圖」
嘉永二年(1849年)老衰で亡くなる
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ほんとうに畫狂人と言う名にふさわしい天才でした。
(動畫 No.458)
北齋のしわざ展 東京 京橋