おかむら村長の昭和野球塾

おかむら村長の昭和野球塾

【三枝規悦 阪急】日大三島高から金指造船、大昭和製紙を經て76年ドラフト外でブレーブス入團。78年ヤクルトとの日本シリーズ第2戰での投球と共にゲームハイライトも。80年松本幸行とのトレードで中日移籍

影片類型
一般
發布日期/時間
2026年5月9日 21:01
動畫長さ
08:48
觀看次數
5328
點讚數
88
コメント數
-
エンゲージメント率
1.7%
データ確認日時
2026年5月16日 01:31

動畫概要

三枝規悦投手は、日大三島高から金指造船、大昭和製紙を經て、1976年ドラフト外で阪急ブレーブスへ入團した右腕投手である。派手な實績を殘した投手ではないが、社會人で鍛え上げられた完成度の高い投球を武器に、一軍でも存在感を示した“知る人ぞ知る苦勞人右腕”だった。

阪急時代は、山田久志投手、足立光宏投手、佐藤義則投手ら強力投手陣を抱える黄金期のチームに所屬。當時の阪急は投手層が非常に厚く、一軍定着自體が難しい環境だった。その中で三枝投手は1977年に一軍デビューを果たし、9試合に登板して1勝0敗、防御率4.50を記録。翌1978年には24試合に登板し、4勝2敗、防御率3.32と結果を殘した。中繼ぎを中心に先發もこなし、プロの世界でも十分に通用する力を見せている。

特に1978年は、完投勝利も記録するなどキャリアハイに近いシーズンだった。豪速球で押すタイプではなかったが、テンポの良い投球と粘り強さが持ち味で、チーム事情に應じて先發・中繼ぎの兩方をこなす便利屋的な存在として重寶された。しかし、阪急は毎年優勝爭いをする常勝軍團であり、若手や實績組との競爭は極めて嚴しかった。1979年には16試合登板で4勝1敗を擧げながらも、防御率5點臺とやや苦しみ、徐々に立場が難しくなっていった。

その後、1980年に中日ドラゴンズへ移籍。このトレードでは、1974年に20勝を擧げた實績を持つ左腕・松本幸行投手が阪急へ移る形となり、三枝投手にとっては大きな轉機だった。

中日時代は主にリリーフとして起用され、1980年は8試合に登板し防御率3.94を記録。ただ、中日では思うように登板機會を得られず、一軍定着には至らなかった。それでも、強豪阪急で培った經驗や社會人出身らしい堅實さは高く評價され、引退後は阪急の打撃投手も務めている。

通算成績
57試合 9勝5敗 防御率4.15
【三枝規悦 阪急】日大三島高から金指造船、大昭和製紙を經て76年ドラフト外でブレーブス入團。78年ヤクルトとの日本シリーズ第2戰での投球と共にゲームハイライトも。80年松本幸行とのトレードで中日移籍