DOYUSHAVIDEO

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私、ひのきしんがしたい!

影片類型
一般
發布日期/時間
2026年5月22日 10:07
觀看次數
486
點讚數
28
コメント數
-
エンゲージメント率
5.8%
データ確認日時
2026年5月25日 11:49

動畫概要

「私、ひのきしんがしたい!」
兵庫縣在住  旭 和世

ある日の夕方のことです。教會につながる中學生のTちゃんから、私の携帶に着信がありました。
電話に出ると、Tちゃんはいつもと違う元氣のない樣子で「いま、塾に向かって途中まで來たんやけど、どうしても行けない。でもうちにも歸りづらい…」と、最後は涙聲でした。
驚いた私は、そのまま彼女を迎えに行き、教會に連れて歸ることにしました。冬休み直前の出來事でした。
Tちゃんはそれまでの數か月、學校に行けない日が續いていました。いわゆる、不登校のような状況です。
さかのぼること5年ほど前、友人の娘さんが、突然學校に行けなくなった事がありました。その後、状況はどんどん進み、學校どころか部屋からも出られなくなってしまったのです。
けれど信仰熱心な友人夫婦の事、これはきっと神樣が友人家族にお與え下さった節なんだ。いつかこの節が生き節になって、この日があったからこそと思える日が來ますように…と、毎日お願いしていました。
その後、しばらくは大變な状況が續きましたが、不思議なご守護を頂いて娘さんの心は少しずつ回復していき、現在はとても元氣に成長されています。
友人はこの大變な經驗から、「同じように辛い思いをしている人たちの手だすけがしたい」と、子供の不登校や心理學について勉強し、「不登校對應講座」の講師の資格を取得したと連絡をくれました。
彼女によると、不登校は決して怠けている譯でも、サボっている譯でもなく、なんらかのストレスによって心の傷が深まった時、本能的に心を守ろうとする自己防衞のようなものだということ。なので、なぜ學校に行けないのか、本人にもその理由が分からないというケースも少なくないそうです。そして、そんな状況の子供たちへの對應を學ぶことで、子供も親も不安が減り、早期回復を促すことが出來ると教えてくれました。
私にとっては、目からウロコなことばかり!これは不登校のお子さんがいる方はもちろん、そうでない方にも聞いてもらい、不登校の子供たちへの理解を深める事が重要だと思いました。
そこで、是非その「不登校對應講座」の話を、うちの教會で開いている「こども食堂」でしてもらえないかとお願いすると、友人は二つ返事で引き受けてくれました。
當日は、實際に不登校のお子さんを抱えているご家族や、こども食堂にボランティアに來て下さっている方など、色々な立場の方が參加して下さり、私も一緒に學んだ事で不登校への認識がまったく變わりました。
先が見えない事ほど不安な事はないと思いますが、お子さんが不登校になると、本人はもちろん、親御さんも「この先どうなってしまうのか、いつになったら復歸できるのか?」と焦って、お先眞っ暗の状態になってしまう。さらに、その親御さんの不安げな顏を見て、お子さんも二重の苦しみを受けていく…という惡循環が生まれてしまうと思うのです。
しかし、不登校にはある程度段階があって、その段階を知り、親御さんや周りの人が適切な對應をする事で、子供たちの心は回復に向かうという事でした。
その講座の後、ほどなくして、Tちゃんのお母さんから、Tちゃんが最近學校に行きづらくなっていると聞きました。私はすぐに、講座で教えてもらった話をお母さんに傳え、まずは本人の思いを尊重しましょうと話しました。その後、Tちゃんは體調を崩し、寢込んでしまう日が續きました。
私は、とにかくおさづけを取り次がせて頂こうと、Tちゃんの家に行きました。いつも教會に來る時の明るい表情とはまったく違う、元氣のないTちゃんの顏にびっくりしながらも、おさづけを取り次がせてもらいました。
お取り次ぎの後、「學校で何か嫌な事とか行けない理由があるの?」と聞くと、「ううん。學校には行きたいねん、でも何でか分からんけど無理やねん…」と。
その言葉を聞いて、ハッとしました。これは自己防衞をしているのだと。そこで私は、「Tちゃんは眞面目だから學校いかなアカンって思ってるけど、心が疲れているから元氣出ないんよ。今は體がTちゃんの心を守ってくれている状態やから、休んでいいんやで。無理せんでいいよ」と傳えました。
するとさっきまで曇っていた顏が、ホッと安心した顏になったのです。ただ、この後もTちゃんは學校に行きづらい日が續きました。
そんな中、夏休み中の「こどもおぢばがえり」の少年ひのきしん隊や、鼓笛隊の合宿、大教會で教えを學ぶ練成會など、ハードなスケジュールが續きましたが、不思議な事に、それらの行事には休むことなく、全て元氣に參加することが出來たのです。
そして、いざ新學期が始まると…また行きづらい状況になっていました。しかも、目の前には高校受驗という大きなハードルが立ちはだかっています。
そんな時にかかってきたのが、先ほどのTちゃんからの電話でした。彼女の心が限界を迎えているのだと、すぐに理解が出來ました。そして、しばらく教會で過ごすことになりました。
教會での彼女はとてもイキイキとして、ひのきしんを頑張ってくれるし、色々な事に良く氣がついて、自分から行動してくれます。
そんな彼女を見ていて、私はふと「Tちゃん、おぢばの學校に行かない? 天理高校の二部は定時制で、おぢばでひのきしんがいっぱい出來て、神樣の勉強も出來る所なの。寮生活で大變な事もあるけど、Tちゃんならやっていけると思う」と言ってみました。するとTちゃんの目が急にキラキラと輝いて、「私、おぢばの學校でひのきしんしたい!」という返事が返ってきました。
『稿本天理教教祖傳』第二章「生い立ち」の中に、教祖が、怠け者と言われていた作男を、いつも「御苦勞さん」と、優しい言葉をかけて根氣よく導かれ、やがて人一倍の働き手になった、というお話があります。
私は、教祖が作男にかけられたお言葉の奧には、彼を信じる心があったのではないかと思います。彼が怠け者になったのには、きっと何か理由があって、素直になれなかった。そんな心を教祖は見通され、彼が本當は怠け者ではないと信じ、「御苦勞さん」という言葉をかけ續け、導かれたのだと思うのです。
不登校の子供たちも、決して怠けている譯でもサボっている譯でもなく、自分を守ろうとしているのだという事を、周りの大人が理解し、氣長に寄り添い、信じ續ける事が、教祖のお心に通じる行いであると思います。
その後、Tちゃんは天理高等學校第二部の專願受驗を決めました。年が明け、新學期が始まり、Tちゃんは初日に登校することが出來ました。
Tちゃんは、擔任の先生との面談で「どうして天理高校に行きたいの?」と聞かれ、「私、おぢばでひのきしんをしたいんです。そして神樣のお話をもっと勉強したいんです」と答えたのです。私はTちゃんのその言葉を聞いて、教祖がどれほど喜んで下さっているかと思いました。
これから先も、色々な事があるでしょう。心が倒れそうになる事もあると思います。そんな時でも、教祖がされたように、彼女の心の力を信じて寄り添ってくれる人がいれば、きっとまた外に向かって立ち上がる力を取り戻す事が出來ると思います。
こうやって、私がTちゃんの心に寄り添えるようになれたのは、友人が娘さんの不登校という大きな節を乘り越え、その節を生き節にして、ご恩返しとして懸命に傳えてくれたからだと、心から感謝しています。
これからもこのたすけ合いの輪、寄り添いの輪が廣がって、多くの子供たちの心が元氣になっていく事を願っています。



心配

どんなに環境に惠まれても、物に圍まれていても、心が曇っていては、せっかくの有り難い境遇も意味をなさなくなってしまいます。これから先、どうなるのであろうか、何か惡いことが起こりはしないか。先行きを案じるのは私たちがどうしても消せない癖・性分であると言えるでしょう。
神樣のお言葉に、「明らかな心に心配は要らん。心配するというは心に曇りあるから」(M24・11・15)とあります。
辭書では「心配」という言葉について、「これから先のことなどが氣がかりで、心を惱ませること」という意味と共に、「心にかけて世話をすること」と、二つの意味が説明されています。
同じ「心配」でも、心を配って人のお世話をするのと、心にかけて思い患い、不安に思うのとでは、まるで正反對の心遣いです。常に人のことを氣にかけ、心を配る。すなわち人をたすける心を優先させれば、自らの憂いは自ずと取り拂われていくのではないでしょうか。
今、この一瞬々々にも、元の親である親神樣のご守護を感じ、生かされて生きていることを自覺し、感謝すること。それが、心の憂いを取り拂い、明るく勇んで通る第一歩です。
お言葉に、「一日と言えば、朝結構という中に、明日という」(M25・6・3)とあります。
新しい朝を迎え、目が覺める。今日も新しい一日をお與え頂いた。私たちは親神樣のあたたかい懷に抱かれ、導かれているのだから、何も心配することはない。そうして、「朝を結構」と通る中に、明るい日々が、今日、明日という日が開かれていくのです。
もちろん私たちの日常は、喜び事ばかりに圍まれているわけではありません。時に憂うつな出來事にあい、戸惑う時もあります。しかし、一日を喜び一杯につとめ切れば、「勤まった日は夕景安樂という」(M25・6・3)とのお言葉通り、安らかな氣持ちで夜を樂しめるというご褒美が待っています。
さあ、今日も一日、勇んで通らせて頂きましょう。
(終)
私、ひのきしんがしたい!