Mathematics Monster

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確率8:n數の積と倍數の確率②《千葉大2012年》

影片類型
一般
發布日期/時間
2026年5月15日 20:00
觀看次數
1800
點讚數
46
コメント數
-
エンゲージメント率
2.6%
データ確認日時
2026年5月22日 18:09

動畫概要

ホームページ:http://mathematics-monster.jp
全講座の問題はホームページから閲覽・印刷可能です。

僕が死んだ後に、嫁が、もしくは子供達がまだ小さいうちに死んだ場合、僕の人生についてある程度、詳しく知れるために、少し高校時代の話を掘り下げて記そうと思います。
高校2年生のとき、擔任の馬場先生に「何のために人は生きているんですか」と職員室で質問したことがあります。馬場先生は、「その理由を探すために生きているんじゃない?」と笑いながら返事をしてくれました。
高校2年生のとき、家からはバスで近くの驛まで行き、そこから電車に乘って學校に1時間半近くかけて通っていました。でも、家を出るのは10時ごろで、バスで驛まで行くのですが、コンビニでお辨當を買って、驛近くの湖のある大きな公園のベンチでそれを食べて、ベンチに寢っ轉がって1時間くらい寢るともうお晝すぎで、携帶電話には馬場先生から「今日はどうした?」とメールが來ていました。無視をしたいわけではないけど、どう返事をしていいかわからないので、結果返事をしないのがほとんどで、そのうち學校を無斷で休んでいても、馬場先生からメールは來なくなりました。
多分高校2年生、高校3年生の時は毎日5回くらいは泣いていたと思います。教室、バスの中、保健室、どこでも涙が出ていました。
授業に出ても座っていられなくて、突然教室を出ていくような生徒でした。ほとんどの場合は保健室に行きましたが、たまに校舍の外に出たり、圖書室に行くこともありました。
放課後何時間も保健室にいて夜6時とか7時まで保健室の椅子に座っていることが多かったです。
時々、晝休み保健室にサッカー部の友達が來て、校舍の端っこにある保健室の外の部室棟前で、5〜6人でサッカーボールでワンバンという遊びをしました。みんなおそらく僕のことを、明と暗の状態があると捉えていたような氣がします。それについて何か話しかけてはいけないけど、明の状態の時は普通に接しても問題ないと考えているようでした。
それに救われる面も確かにありました。それによって色々なことから逃げ出さずに濟んだのかもしれません。
ずっと何かを考え、何かと向き合って、何かを探していたんだと思います。チャンネルのアイコンになっている猫の繪は僕が高校3年の時に保健室で描いたものです。
高校3年生の時の擔任は河野先生でした。30歳くらいの若い先生で、熱血でした。約束を守らず、胸ぐらを掴まれて校舍の外まで引っ張り出された記憶があります。放課後に校舍の周りを一緒に走った記憶もあります。ホームルームに出たのは手で數えられるくらいしかなかったと思います。カバンを校舍の3階から放り捨てて歸った次の日、僕の机の上にへし折れたカバンが置かれていたのを覺えています。
卒業式の日に、森山直太朗のさくらを歌ってくれたのを覺えています。僕以外クラスの全員泣いていました。
カルキュール數學という教材を手渡してくれたのも河野先生でした。
サッカー部の連中が、「河野先生が「なんで授業に出てない杉谷が一番數學の點數が高いんだ」ってテスト返却のときブチギレてたよ」って言ってたのを覺えています。僕はテスト返却の授業のとき教室にいなかったので。
當時は河野先生に「お前はもう現役では間に合わないから浪人して東大でも目指せ」と言われたのに腹が立って、見返すためにめちゃくちゃ勉強したのを覺えています。
河野先生から見て、僕はとんでもなくストレスフルな生徒だったと思います。
ただ、僕は、保健室の稻田先生、高2擔任の馬場先生、高3擔任の河野先生、先生方には感謝しています。

卒業後、河野先生を訪ねたとき、「お前がいた時の3年3組のようなクラスは學園ドラマみたいだった。今擔任をしているクラスはみんな勉強のことしか頭にないから面白みがない。」と言っていました。
おそらく、ほとんどの人はこれを讀んで、どんな高校生活だよ、と思ったかと思います。おそらく自分の子供達がもう少し大きくなってこれを讀んだ時も。
でも、人生と向き合う上では大事な時間だったように思います。
確率8:n數の積と倍數の確率②《千葉大2012年》