【公式】臨濟宗大本山 圓覺寺

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第1968回「無字の公案」2026/5/28【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨濟宗圓覺寺派管長 横田南嶺老師

影片類型
一般
發布日期/時間
2026年5月28日 05:00
觀看次數
3659
點讚數
253
コメント數
-
エンゲージメント率
6.9%
データ確認日時
2026年6月2日 15:10

動畫概要

【サムネイル寫眞を募集しております】※概要欄下部をご覽ください。
 
■管長日記「無字の公案」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40342/
  
■Voicy
https://r.voicy.jp/ByKorJDWVnx
 
■note
https://note.com/engakuji/n/n8350b00c...
 
 
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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大慧禪師は、西暦一〇八九年の生まれで、一一六三年に亡くなっています。

一六歳で出家し,翌年受戒.はじめ臨濟宗の湛堂文準禪師に參じ,のちにその遺命と張商英の勸めによって圜悟克勤禪師に謁し大悟して法を嗣いでいます。

この大慧禪師が、門下の居士や官史などの質問に答えて、禪を修得するための要點、心構えなどを懇切に教えた手紙文六十二通を集めたのが『大慧書』と呼ばれる書物です。

とても修行の參考になる書物で私もかつてこの書物の講義をしたことがありました。

その『大慧書』の中に、富樞密に與えた書があります。

大慧禪師五十歳の時の書であります。

手紙のはじめに、

「お手紙拜見しました。若年からこの道を信じることを知っているが、晩年知解にさまたげられて、まだ悟入するところがなく、朝夕道を體得する方便を知りたいと思っている、とのこと。このようにまごころを打明けられましたからには、しいて遠慮いたしません。あなたの申し状にもとづいて案件を處理するために、少々卑見を述べましょう。」

と書かれています。

眞摯に自分を見つめて大慧禪師に道を問うていることが分かります。

大慧禪師は「ただこの悟入を求めるものが、そのまま道を障える知解になっているのです。

その外にあなたのさまたげをするどんな知解があるでしょうか。

結局何を喚んで知解とするのですか。

知解はどこから來ますか。さまたげられるものは一體誰ですか。」

と親切に説かれています。

知解とは「知見解會の略」で、「普通の人の知識による理解。觀念的な解釋。理解する」ことであります。

所謂知識であり、解釋であります。

これは分別知でもあります。

物を分けて比較し分類して理解することでもあります。

それに對して大慧禪師は、

「ただ妄想顚倒の心、思量分別の心、生を好み死を惡む心、知見解會の心、靜をねがい動をいとう心を、一度におさえつけ、そのおさえつけるところについて、話頭を參究なさい。」
と教えておられます。

ここに靜かなのを願い、動くのをいとうとあります。

まさに靜かなのと騷がしいのを比べて靜かなのがよい、騷がしいのはいやだという分別のこころです。

騷がしいという環境が妨げになっているのではなく、靜かなのと比べて、靜かなのはよい、この騷がしいのが嫌だという心が妨げとなっているのです。

大慧禪師は、お釋迦樣の教えを引いておられます。

「もろもろの業は心から生じる。だから心は幻のようなものだと説くのである。もしこの(妄)分別を捨て去るなら、三界六道は消滅する」と説かれています。

そのために「僧 趙州に問う。狗子に還って佛性有りや也た無や。州曰く、無」の公案を取り上げて工夫させるのです。

大慧禪師は「この「無」の一字こそ、いろんなねじけた知覺をくじく武器です。
(この「無」を悟るのに)有無の意識をおこしてはいけません。理窟の意識をおこしてはいけません。

意根によって思量し臆度してはいけません。眉をあげ目をまばたくところにじっとしていてはいけません。

言句の上でその場しのぎをしてはいけません。

無事そのものの中にとどまってはいけません。

擧示されたことについて早合點をしてはいけません。

文字にとらわれて證據がためをしてはいけません。

ただ朝から晩まで行住空臥の中で、いつも工夫し、いつも氣を引き立てなさい。」

と教えているのです。

『大慧書』の現代語譯は筑摩書房の『禪の語録17大慧書』にある荒木見悟先生の譯を參照しました。

無門慧開禪師は一一八三年の生まれで、一二六〇年に亡くなっています。

大慧禪師よりは百年ほどあとの方であります。

この無字の公案が弘まっていたと察せられます。

無門禪師は、この無字の公案に六年間取り組まれました。

その體驗から『無門關』の第一則にこの無字の公案を取り上げています。

無門禪師は、「三百六十の骨と、八萬四千の毛穴を擧げて、全身まるごと疑いのかたまりとなり、ただ一つの無字に參ぜよ。

晝も夜もこの問題を引っさげて、虚無の無であるとか、有無の無であるといった理解をしてはいけない。眞っ赤に燒けた鐵のかたまりを吞み込んだようなもので、吐き出そうにも吐き出すことができない。

それまでの誤った認識を根絶やしにし、ただ『無字』となってその状態を保てば、いずれ内と外が一つになるだろう。」

と説いてくださっています。

圓覺寺の開山、佛光國師は西暦一二二六年のお生まれで、一二八六年に亡くなっています。

無門禪師よりは四三年ほど後の方です。

やはり無字の公案に足かけ六年間取り組んでおられます。

法燈國師心地覺心禪師は、中國に渡り無門禪師に參禪してこの『無門關』を日本に傳えてくださいました。
『無門關』という書物は中國ではあまり弘まらなかったようですが、日本ではとても大事にされました。

無字の公案に取り組むことは、禪の修行の第一となっていったのでした。

大慧禪師は、意識のはたらきであれこれと無字について詮索してはいけない、言葉の上でやりくりしてはいけない、無字について理解しようとしてはいけないと繰り返し説かれています。

今日では更に、腰骨を立てて、下腹に氣力を込めて、吸い込んだ息を下腹におさめて、下腹をふくらますようにして、そしてそのふくらませた下腹をそのまま保ったまま、むしろ前に押し出すように下腹に壓をかけながら、息を長く吐いてゆき、その時にただ「むー」と息を吐いてゆくのです。

これを繰り返し繰り返し行います。

無字の公案は更に身體の上で、呼吸の上で、この無の一字に成り切る修行となっているのです。


横田南嶺
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【サムネイル寫眞の募集】毎日の管長日記と呼吸瞑想
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■應募内容
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